支配者の素質

他人をバカにした気持ちというものがあって、テレビを見ながら画面の中のそいつらを見下している人はわりといっぱいいるだろう。なんで世の中こんなにボンクラばっかりなんだ?と。でも、結局、そんなボンクラどもを操縦できていないので、僕らも同様にボンクラなのだ。ボンクラを支配できていない。他人を見下すだけなら子どもでもできるが、見下したそのボンクラを支配して操作しなければ、支配者の素質はないだろう。そういった支配者の素質がある人間が、政治家になる。舞台を飾る花程度のぽっと出の議員政治家なんかじゃあない。彼らを動かしている支配者だ。
そういった人たちがまじめにやっている。まじめにやらなきゃあ、同じレベルの支配者に負けてしまうからだ。世界を良くしようとしている。自分たちがもっと儲かる方法を考えている。だったら、何も問題ないだろ? 世界が良くなるんだからな。

パンはパンでも食べられないフライパンなーんだ?

食パンやアンパンなど、いわゆる「食べられるパン」はフランス語である。英語で食べられるパンのことはブレッドである。ではフライパンとは何語かと言えば英語であり、英語におけるパンとは調理器具の鍋のことである。よって食べられないパンとは鍋のことである。

捜し物は見つけにくいモノです。

今、僕はセリフを探している。映画のワンシーンに流れていたフレーズで、有名でもないし独特な言い回しでもないし名言でもないセリフだ。僕はたまにこういうセリフを探している。僕の中で気に入っているフレーズがあり、それは世間の知名度と必ずしも一致はしない。
探しているのはこんなセリフだ。
それはバッドマンダークナイトの中に出てくる。
ルーシャスフォックス(モーガンフリーマン)が、部下のリース君とやりとりするシーン。リース君は、ウェイン社が湯水のように金を使っていることを不審に思い調べているとどうやらウェインがバットマンであることに気がつく。それを社長であるルーシャスにチクり、年間1000万ドル死ぬまで払えと要求しようとする。ここでメガネをとってルーシャスが言セリフ。
「なるほど、こういうことかな。キミの重要な顧客で世界的権力者であるウェイン氏は、毎晩街に出て体を張って凶悪犯から街の平和を守っているようだ、それを知ったキミは…彼を強請ることにした、と。…なるほど、がんばって」
たぶん言い回しが正しくないが、大旨こんなセリフだ。もう一度映画を見直すか。
僕はたまにこういうセリフを探している。
ジョジョのワンシーンでどこかを探せばネットに転がってるもんだろ、と思うようなセリフさえ、意外と落ちていないものだ。ここでクイズだが、「そのものズバリじゃねぇか」ってセリフがジョジョに出てくる。さて第何部のどのシーンだと思う? 検索したが見つからなかった。

自炊しなくなった理由

漫画本の自炊をしたことがある。自分でやったものもあるし、業者に頼んだものもある。たぶん全部で100冊程度だ。読み返したくなる日がくるだろう、と思うけれど、そんなに頻繁に読み返すわけでもないよなぁというような本とか、その気になれば買えるから本そのものを持っている必要はないなというような本とかを自炊に回した。そうやってけっこう高解像度なPDFを作った。PDFにしておけばあとの使い回しはまあまあ便利だ。
ところがここのところ、Kindleで本を買っている。
結局、自炊の有利な点よりも、自炊の不利な点、あるいはKindleの有利な点のほうが高いことが多いからだ。
たとえばクリック1つでその場で買える。自炊の場合、自炊されるそもそもの本を手に入れる必要があり、それをスキャンする手間がある。自分でやるならこの手間だし、業者に発注するなら郵送もしなきゃいけないし振り込みもしなきゃいけない。PDFにしたあとの取り回しも面倒だ。高解像度の画像なのでダウンロードに時間がかかり、手持ちのタブレットに入れためには容量の問題もある。
数年前に自炊代行業が流行り雨後の竹の子のように増えたが、法律的にグレーだろと騒がれてあっという間に減った。ユーザから見て問題はなんだったのかといえば、法律やスキャン代行業者がズルをするなんてところじゃあない。
本当のところは、電子書籍流通の整備が遅いというのが問題なのだ。
CDを買う人間が減るのだって同じだ。CDを買って自炊しているだけだ。実際に音楽を聞くハードウェアに入れるために。だがネットで音楽はすぐダウンロードできたら誰もCDを買わなくなる。CDをハードウェアとして欲しい人間だけが買うだろう。それは音楽を聴きたい人間じゃあない。
(ところで、雨後の竹の子ってそんなに増えるの? 見たことない)

大統領とジャイロの、意思の介入

大統領
「ナプキンを取るときはどちらから取る?」 誰かが最初に右のナプキンを取ったら全員が『右』を取らざるを得ない。

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ジャイロ
ネットにはじかれたボールがどちら側に落ちるか、誰にも分からない。

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ボールに意思の力は介入するか?
介入するのが「ナプキン」の発想。しないのが「ネット」の発想。

枠、常識、あるいは正義について

なんかどっかのスポーツ選手がシングルマザーになって、けっこういろんなところで話題になっている。正直、僕はそいつのことを知らないし、そいつ本人はどうでもいいのだが、見かける人たちの論調がなんかヘンなので、違和感を抱えていた。しかしなにがヘンなのか、自分でもよくわからない。なんとなく、ずれている、という感覚だけがあった。
そして唐突に、その理由がわかったので書いておく。もっとも全てがぴったりと腑に落ちたわけじゃあなく、なんとなく片鱗が見えた気がしたので、忘れないうちにメモっておこうという算段だ。
違和感の理由は「枠、常識、あるいは正義」である。
シングルマザーが存在しづらい社会構造のほうが脆弱なのだ。そしてその脆弱さに違和感を持たない人たちに違和感があるのだ。
僕にとって、正義が正しいんじゃなくて、正しいのが正義だ。枠が先にあるんじゃなくて、枠は内容物で可変するべきだと考えている。常識や枠や正義が主体ではなく、主体は自己であって枠はそこに形成される。社会のために人間が存在しているわけじゃあない。人間のために社会が存在している。
シングルマザーで何が悪いのだろう。性教育って何が正しいだと思って教育するんだろう。シングルマザーって面倒そうだな、とは思うが、自分で選んだんだろ。まったく問題ない。

懺悔

これから書く事は懺悔なのだろうか。懺悔をしたい、という気持ちがあるということは、僕は良い人間でありたい、と心のどこかで思っているのだろうか。死後天国にでもいくつもりなのだろうか。つまり今から書く事は懺悔ではなく、ただの独白かもしれないが、タイトルは懺悔である。
世話になった叔母がいた。
彼女は癌で入退院を繰り返し、何度かお見舞いに行った事もある。ある日、父親から連絡が来た。叔母がホスピスに入院するという連絡だった。そのとき僕はホスピスというものを知らなかったし、父親の話を聞いたら癌の病院だと言うので、また入院か、ぐらいに考えていた。インターネットが現在ほど普及しておらず、不明な用語をさっと調べる、なんてこともしなかった。一緒にお見舞いに行かないか、という父親に対して「仕事が忙しい」と断った。
ホスピスがどういう場所かを知るのは、それから数年後のことだ。叔母と最後に会ったのはいつだったか、もう思い出せない。少なくとも僕はホスピスには行かなかった。