枠、常識、あるいは正義について

なんかどっかのスポーツ選手がシングルマザーになって、けっこういろんなところで話題になっている。正直、僕はそいつのことを知らないし、そいつ本人はどうでもいいのだが、見かける人たちの論調がなんかヘンなので、違和感を抱えていた。しかしなにがヘンなのか、自分でもよくわからない。なんとなく、ずれている、という感覚だけがあった。
そして唐突に、その理由がわかったので書いておく。もっとも全てがぴったりと腑に落ちたわけじゃあなく、なんとなく片鱗が見えた気がしたので、忘れないうちにメモっておこうという算段だ。
違和感の理由は「枠、常識、あるいは正義」である。
シングルマザーが存在しづらい社会構造のほうが脆弱なのだ。そしてその脆弱さに違和感を持たない人たちに違和感があるのだ。
僕にとって、正義が正しいんじゃなくて、正しいのが正義だ。枠が先にあるんじゃなくて、枠は内容物で可変するべきだと考えている。常識や枠や正義が主体ではなく、主体は自己であって枠はそこに形成される。社会のために人間が存在しているわけじゃあない。人間のために社会が存在している。
シングルマザーで何が悪いのだろう。性教育って何が正しいだと思って教育するんだろう。シングルマザーって面倒そうだな、とは思うが、自分で選んだんだろ。まったく問題ない。