ある坊さんの話

「私が悟りを開いたときの話をしましょう」
その坊さんは気楽な口調で話し始めた。
坊主には托鉢という修行がある。道ばたで立って経を読んでいる坊主を見た事がある人も多いだろう。彼はその最中に悟りを開いたと言った。雪が降っていた。うっすらと積もる雪の中で彼は経を読みあげていた。足袋は薄く、足先の感覚は既になかった。あかぎれて、積もった雪がピンク色になっていた。周囲の人は足早に彼の前を通り過ぎて行く。
彼が悟ったのはそのときだった。
ただの極限状態における脳が見せた幻覚だ、と誰もが言った。
だがその坊さんは笑顔で言う。
それでもそこに神がいた、と。
ある将棋指しの話がある。神を見たとそいつも言った。将棋をしているとそれを感じるのだ。ランナーもそうだ。アスリートなら一度ぐらい見た事がありそうなものだ。限界みたいな何かの先に神ぐらい見える。見た人間にしかわからない。
そして見た人間なら誰でもそれが確かに存在したと知っている。見ていない人間が後づけでこういう理由だと説明したいだけだ。ちょっとぐらい見てみたいもんだ。しかしたぶん、気楽には見せてもらえない。