否定疑問文で聞いてないか?

ある老人との会話で、なんかヘンだなぁ、と思った言葉遣いがあった。その老人は言った。
「こちらのご飯、食べませんよね?」「私の作ったものなんて、お口にあいませんよね?」「私からのプレゼントなんていりませんよね?」
たぶん本人は謙譲語のつもりで使ってるんだろうけど。この人、この歳になるまで延々と、そんな態度で生きてきたのだろうか。周囲の人間は、それを良しとしてきたのだろうか。僕ならそんなのはゴメンだが。そもそもそれは謙譲ではない。ただの卑下だ。だが、本人はそんなことを思いもしないのだろう。
この聞き方には、3つの問題があり、一つは「日本語の曖昧さ」。一つは「否定疑問文で聞いている」。一つは「謙譲語と卑下の区別ができていない」だ。
なので今回は「否定疑問文で聞いている」について考えてみる。上記に書かれた3つの例文は、すべて「Noですよね?」という質問文である。さて、コレに対して「Yes」とだけ答えた場合、本人は食べるのか食べないのか、区別できるだろうか? 英語の場合は、これが決まっているそうだが、日本語の場合、どちらにもとることができる。
「言葉遣いがヘンです。否定文ではなく肯定文でしゃべってください」と言ったが、老人は首をかしげただけだった。どうやら通じなかったらしい。自分が丁寧にしゃべっていると思い込んでいるのだ。「思い込む」という事は何よりも「恐ろしい」ことだ…。しかも、自分の能力や才能を優れたものと過信している時はさらに始末が悪い。