どんなときに読みたい文章か

どうでもいい文章というものがあって、本当に日常のどうでもいいことをつらつらと書いているブログがある。対して、ものすごいデータ量を推敲し考察しまとめあげているブログもある。後者のほうが価値がある、って多くの人は言うけど、そうかなぁ?どうなんだろ?
たとえば、本にして売るとする。売れるほうが「社会的価値が高い」ということになる。テレビタレントのエッセイ本、結構売れてるよね。対して、技術論文は売れないし、めちゃくちゃ高い。社会から見たら、前者のどうでもいい内容の文章が売れるわけで、売れるということは価値があるということだ。それ、比べるの?って思うけど、自分が出版社だったら比べるべきだろう。儲からなきゃ仕事にならない。
必要なものは読まなきゃならないこともあるが、どうでもいいものが読みたいときがある。ここがどういう立ち位置なのか、そんなことを考える。劣化しないであろうブログを考えていた。劣化する部分もあるだろうが、それはそれで「劣化すること」がコンテンツになるだろうと考えていた。ウェザリングのように汚れることに意味があったりする。
そんなどうでもいいような日常を過ごしている。