「できるかできないか」と「やるかやらないか」の差

「やればできる子」を英語翻訳して再度日本語訳をすると「やらなきゃできない子」になる…はい、ウソです。ウソですが、そんなことを考えていました。なんか、子供を褒めているとか、慰めているのか知らないけど、「あんたはやれば出来る子なんだから」なんて単語を親が言っているのを見て「なんか気持ち悪ィ」と素直に言ったら、周囲から怒られました。
あと騒いでる子供に対して親が「ほらほら、まーくん騒がないの。おじちゃんたちが怒るから静かにしましょうねー」と言っていたので「こらー!てめー静かにしろコノヤロー!まーくんか!?まーくんっつったかテメーだこのボケ!顔と名前覚えたからなテメー、黙れっつってんだろ!やかましんだよ!」って怒ったらどうなるのかな、とかも考えます。どうも、こういう微細な差について、わりとよく考えている。そのわりに使い分けができていないのが僕なんですが。
あれ、話がずれた。
戻すか。
「できる」のと「やる」のは別だ、という話をするつもりだったんだ。これがごっちゃになっている人がいて、そういう人が「やればできる」みたいな勘違いをしているのだろう。できるかどうかは結果論であり現状では観察できない。やったかやらないかの差は現状で観察できるのだ。
たしかに予測は必要だ。「できない可能性が高い」と思うものもある。同じ行動をして違う結果を望むのはアホのすることだ、とアインシュタインも言っている。予測して、行動する必要がある。だが、予測だけで行動しなければ、すべての結果は「できない」になるだろう。
だからね。
やれ。