ダイヤモンドの輝きは

ある老婆の話をしよう。
その老婆には夫がいた。もう40年も前の話だ。夫は若くして他界した。病気がちな夫だった。夫は浪費癖があり、金はいつもなかった。だというのに客がくるといつも振る舞ってしまう、宵越しの金を持たないそんな剛気な男だった。それは苦労したものだ、と苦笑混じりにその老婆は言った。
そんな男が唯一残してくれたのがこの振り子時計だ。
手動のねじ巻式で、時間になるとその分の鐘がなる。ぼーん、ぼーん、と言った具合だ。古びていて、すぐに時間がずれてしまう時計だが、振り子のところにきらりと光る宝石が埋め込まれている。ダイヤモンドだと老婆は言った。
夫がなくなって40年もの間、新しい男も作らずに働き、子どもたちが独り立ちしていった。振り子時計はそれをずっと見ていた。おじいさんの古時計ならぬ、おばあさんの古時計。その老婆が亡くなり、今ではだれもねじを巻かない。夜中の十二時に十二回も鳴る時計は、いまどきではないのだろう。
僕がその時計を見たときに「それはダイヤモンドではないだろう」と思った。偽物だろう、と。薄ごよれていて、輝きなんてさっぱりしてない。カットだって小さいし、本物だったとしても二束三文の偽物のダイヤモンド。
だが、彼女にとっては本物だった。浪費家の夫が唯一買ってくれた振り子時計のダイヤモンド。彼女以外誰もが偽物だと思っているダイヤモンド。彼女だけが輝かせる。彼女だけに輝く。