自費出版したがるご老人が欲しいのは、手に取れる紙か

10年ほど前の話だが、印刷業に携わっていたときの話。ある老人が会社にやってきて、自分の書いた小説を本にしたい、と言った。そのとき、自分のいた会社はオンデマンド印刷というものに力を入れており、自費出版の話もそこからの展開だったようだ。その老人は、原稿用紙に手書きの文字で入稿してきた。
会社は印刷業であって、出版社ではないので、編集者を一人入れた方が良い、という話になった。そこで僕の手元から離れたんだけど、原稿をちらっと見せて貰ったところ「てにおは」さえもおぼつかない文章で、「です。」と「だ。」も混在している、一行の中で一人称と三人称がごっちゃになっているなど、まあありがちな素人らしい文章だった。当時僕は文章についてそれほど造形が深いわけではなく(今でも深くはないが)自分の本を作りたい人ってのは本当にいるのだなぁ、と思って見ていた。オンデマンド印刷は部数が多くなれば多くなるほど高価になってしまうため、小説のようなページ数の多いモノには不向きであろう。薄い本だったのに、結局1冊1000円以上になったはずだ。どれだけ作ったのかは僕は知らない。
近年電子書籍が普及してきて、ふとこの老人を思い出した。自作でKindleに出そうと思えば出せるのだろうか、と思って調べてみた。しかし、調べている最中で、たぶんこの方向は老人の望んだ結果にはならないのだろうな、と思い直した。
老人は、周囲に配りたい程度なのだろう。それを売って儲けたいわけじゃない。仕事じゃない、ただの趣味だ。配るのに、紙は便利だ。電子書籍を出して、誰もが手に入れられると考えるのは逆で、電子書籍なら読めない、という人のほうが大半のはずだ。老人になればなるほどそうだろう。ガジェット大好きな自分の身の回りでさえ、電子書籍に手を出している人はごく少数だ。
電子書籍には電子書籍の良いところがあるが、なんでもかんでも電子書籍にしてしまおう、というのはない。両方出すとユーザとしてはありがたいが、紙のほうが単価が高くなっていくだろう。