どうでもいいことを延々と書いているのに理由がない

金を貰っているわけでもないし、書かなきゃいけない義務があるわけでもない。だから書きたくなったら書けばいいじゃん、と思っている。そうして飛び飛びのブログになっている。日記でもなく、ただその日、思いついたことが書かれている文章だ。
しかしそれにしても、書きたいことや言いたいことなんて、多くの人はあるんだろうか。自分にはあるんだろうか。無限に湧き出るアイデアがあるわけじゃない。まあ、書こうと思えばこうやって書けるわけだ。だってどうでもいい内容だから、否、そもそも内容なんて入っていないのだから、いつまでだってどこまでだって書いていられる。どうでもいい妄想の話を始めれば、さらに1000文字ぐらい余裕で増えるだろう。お姉ちゃんが書いたらいいことしてくれるって言うから!とか。1000字書いたらすっごいことしてくれるって言うから!とか。まあ、長いからここで切ろう。
だからこそ考える。どうせどうでもいい話なら、書かなくたっていいんじゃないか。このままブログが消えてもいいんじゃないか。そんなことも考えるが、まあ、思い出したらそのうち書くでもいいのかな、とも思う。そんな適当さが、この空白を生み出している。
そしてその逆も考えてみる。書きたくなったら書くの逆だ。手塚治虫は数多くの作品を残した。編集者に追い立てられなければその半分も存在しなかっただろうと言っている。彼の描いた漫画が全部ヒットだってわけじゃあなくて、ハズレ作品だって多い。神である彼がだぜ? だったらこのブログでハズレな文章が書かれていても、そんなにへんな話じゃあないだろ。ヒットがないところが問題なのか? もっと多くの人に届くような文章を書きたい、とも思っている。全然意識しないのはないだろ、だって誰かに見せているわけだから。毎日毎日書いて、その中から面白いモノが出てくることは当然あるだろう。
自由は誰のモノだ。毎日書く、という自由がある。書きたいときに書く、という自由がある。
今は後者だ、というだけだ。でもヒットする人って、前者が多いね。なんとなく。イメージだけど。