ブログが廃れたのはコストのためです

ブログが廃れたのはコストの問題だ。多くの人がブログをやっていた時期がある。ちょっと昔の話だ。こう書くとまるで老人みたいだな。でもまあ、同じようなモノだろう。話を戻す。
当時から比べるとブログは減った。なぜだろう。僕の考えは、2つだ。1つは製造コストである。もう1つは消費コストである。
製造コストは、ブログを書く側のコスト。書くためにはエネルギーが必要だ。長文を書き慣れているのなら、あるいは天才ならば別だが、たいていの場合、長文になればなるほどエネルギーが必要になる。文章を書くことが、息を吸って吐くようにできて当然、とは思えない。そんなのはスタンド使いだけなんだ。
ブログが多かった時代は、ツイッターのような、あるいはInstagramのような低コスト向けサービスがなかった。今はいろんなサービスがあり、ユーザが分散した。故に、ブログが減った(廃れた)ように見えているだけだろう。
もう1つは消費コストだ。消費コストは読む側のコスト。
他人がテレビを見ていると思うのだが、30分もよくテレビが見ていられるなぁ。僕は動画というものをほとんど見ない。見ていると疲れてしまうのだ。テレビを見る多くの人は無意識にこのコストを払っている。僕から見たら、膨大なエネルギーが貯蔵されているとしか思えない。
同じように、長文を読む、というのは消費コストがかかる。さらに読ませる文章を書ける人は少ない。プロのライターが書いた文章だって、読む気しねぇってわりとあるぐらいだ。多くの人は、長文を読む消費コストを支払えない。動画と違って、勝手に流れてくれないから、文章を読む方が消費コストが高い。そのかわり製造コストが安いのだけれど。
まあ、そんな理由で、ここまで読んだ人は、けっこう長文が読める人だと思う。
ところで廃れてなんか問題があるの? いいじゃん別に。他にもいっぱい面白いサービスはある。