「死」はパッケージされてしまったので

生き物の死を見る機会が極端に減っている。安全な社会になっているので減っていくのは当然だろう。身近な生き物の死って、虫ぐらいじゃないかな。それでもカブトムシの電池が切れたから交換してくれとデパートにくる子供なんてネタがあるぐらいだから、死はずいぶんと遠い物になってしまった。
スーパーで細切れの肉が生きていたとは思わず、刺身が泳いでいる。植物が枯れるのも、死だと認識できないのだろうか。死はわりとすぐそのへんにあるのだが、できるだけ見えないようになってしまった。料理素材はと殺場が、病人は病院の中でパッケージしている。見なくて済むように。
ある博士が言った。
「そして世界が残酷なのは当たり前のことなのです」
当たり前のことを忘れている。誰も教えてくれないから、知らないだけかもしれない。学校の授業でやるのも頷ける。野菜を育てたことはなく、魚を釣ったこともなく、鶏を捌いたこともない。パッケージされてしまったのはどちらだろう?