救う、助ける、手伝うの差

「救う」「助ける」「手伝う」に差ってあるんだろうか、と考えた。言葉が違うということは、意味が違うということだ。ちょっと辞書を引いてみよう。

救う
1 危機的な状況や苦しい境遇、悪い環境などにある人に力を貸したり金品を与えたりして、そこから抜け出させる。助ける。救助する。救済する。「人命を―・う」「地球環境を―・う」
2 神・仏などの力によって平安な心的状態に導いたり、迷いや悩みを取り除いたりする。「信仰に―・われる」
3 好ましくない状態からのがれ出させ、良いほうに進むように導く。「堕落の道から生徒を―・う」
4 (多く「救われる」の形で)悪い条件を相殺する。不安・不満などが一応解消する。「重病だが本人が明るいので―・われる」「仕事がきつい上に給料が安いのでは―・われない」

助ける
[動カ下一][文]す・く[カ下二]手伝う。たすける。

手伝う
1 他人の仕事を助けて一緒に働く。手助けをする。助力する。「大掃除を―・う」
2 ある原因の上にさらにそれも原因の一つとなる。「食糧不足のところへ寒さも―・って犠牲者が増えた」

基本的には、だいたい同じ事のようだ。なのでその差は機微だ。だが差がある、と考えた。
これらの言葉は、能動者側が受動者側に対して行う比率が違う。
そしてこれらの言葉は、受動者側の意見しか存在しない。
救われたという場合、受動者側は能動者側に対して、行動を完全に依存しており、行動そのものは能動者が主体である。助けられたという場合、受動者側は能動者側に対して、ほぼ依存している。手伝ってもらったという場合、受動者側は能動者側に対して後押しする程度の助力であり、行動そのものは受動者が主体である。
実際の行動ではなく、受動者がどのように感じたのかによって、変わる。
人を救う、なんて出来ないのだろう。救われると感じる事しか出来ない。「癒し」みたいなものだ。他人を癒す事はできない。癒される事しか出来ない。