「寂しくてもよい」vs「友達を増やす」

「寂しいのは嫌だ」という感覚がまず最初にあった。これは刷り込みあるいは教育によるものだ。このマイナス感情を解決する方法として二通りがあった。一つは多くの人が採用する「多くの人と関わる」という方法。もう一つは「寂しいのは良い」と思うことにする方法である。
両者は、同じ問題を解決しようとしてアプローチが違うだけだ。どちらかに優劣があるわけではない。体質のようなものがあり、自分に合う方向に伸びる。逆のアプローチをとる人間を馬鹿にしたり見下したりする行為を見かけるが、「同じ問題でアプローチが違うだけ」という認識が不足しているのだろう。
この寂しさと同様に、多くの感情を刷り込まれている。
親しい人間の死、恋愛対象は一人だけ、ゴキブリが怖い、などなど。さまざまなマイナス感情があるが、それらは後付けの刷り込みだ。解決のアプローチは、寂しさの解決と同様にいくつかある。
解決してしまうことがよいことなのか、という別の問題はあるが。