古典の弱さと強み

スーツ用の鞄を探しているのだが、なかなか「コレ!」というのが見つからない。というよりも、思いつかない。いったい僕は何を探しているんだろう。どんなものを求めているのだろう。本来は店を見てまわるのではなく、じっと部屋の中で自分が求めている形状はどんなものなのかを思案するべきなのだろうけれど。
店頭でぱっと見かけて「え、これいいかも!」みたいに思う場合はたしかにあるが、それが長続きすることは少ない。
それにしても、スーツ用の鞄というのは、幅がずいぶんと狭いものだ。リュックはダメだろうし、ボディバッグはイマイチだ。手持ちカバンは重くて持っていられないし、肩掛けカバンが良いのだけれど、スーツが型くずれするかなぁ。私服だと良いのに、なんでスーツだとこんなにいろいろな規制があるのだろう。
そう考えてみると、スーツは古典なのだ。ある一定のルールがあり、それを逸脱することはない。私服は常にそれが移り変わっているので、アレンジが効きやすく、デザインはすぐに古くなる。和服はさらに古典になる。様式美というべき形状があり、それから外れることがない。スーツだって、以前は肩パットの入っているものやネクタイピンがあったが、今はノーネクタイだったりボタンの数が2個だったり3個だったり、あるいは前のボタンを止めなかったりといろいろな小さなアレンジが生まれている。しかし古典はそのアレンジさえも許されない。その服を着る季節さえも決まっている。ゆえに古くならない。