信じる者は(足元を)すくわれる

信じる、って行為を忘れている。
みんな子どもの頃は疑いもせず暴論だろうと信じられたし、信じるという行為をマジメにできたのに、だんだんそれができなくなっていく。大人になりましたね、ってそんな大人は嫌だなぁ。
何かを信じるという行為を見て、第三者の他人がこんなふうに言う。
「なんでそんなことが信じられるんですか、理由はなんですか」
でもこれは順番が逆で。
そいつは理由が必要な理由を探している。理由があるから信じるんじゃあなく、信じる理由を欲しがっている。理由はなくても信じらるでしょう。子どもの頃、母親を信じた理由が必要でしたか?