財宝が埋まっている

へうげもの」を読んでいる。織田信長豊臣秀吉徳川家康の時代の話だ。僕は歴史というものにさっぱり興味がなく、旅行でお城を見ても「古い建物だね」と思う程度だった。しかし、へうげものを読んで、すこし歴史に興味が沸いてきた。登場人物をネットで調べて「ああ、こういうことをした人なんだ」などと追ったりもした。そうすると、この人物がいつ死ぬのかなども書かれていて「ネタバレじゃん!」などと本末転倒な事を思ったりもした。マクドナルドで隣に座っていた女子高生が「龍馬最後に死ぬってネタバレが教科書に載ってた!」という冗談が、自分に起こるとは思わなかった。
とにかくそれぐらい歴史というものを知らない。学校の教科書で丸暗記したはずだが、そんなものはまったく残ってはいない。ところで話がズレるが。教育とは何か、と考えたとき「教えられた事を忘れたときに残っているもの」と言った人がいる。僕に取って歴史はまったく残っていないので、教育されていないと言える。調べれば調べるほど、いろんなものが楽しめる。まるでちょっとした金脈を見つけたような気分だった。まったく手つかずだった歴史という娯楽だ。
世の中にはさまざまな娯楽が埋まっている。楽しさがあふれている。
見つけられないだけなのだ。見る目がないから。
そして同様に残酷さもまた埋まっている。見えないようにしているだけだ。

へうげもの9 千利休 台詞
いかにも他に理由があるが如き受け答えよの…。皆まで申さずグッと堪えた所に潔さを見出せ…と?
木っ端大名とは付き合いきれぬわ。左様な格好良さ自慢は、その方のさもしき家中に留めておくがよい。

気に入っている言い回し。検索で出てこなかったので、自分で記す事にする。