概念の食べにくさ、表現の食べやすさ

ドラッガーを読んだことはない。数ページ読んだだけで、頭痛いし。なんだよ。お偉いさんはそんな話か。頭の良い人向けかチクショー。
で、「もしも女子高生マネージャーがドラッガー読んだら」を読んだ。ごめん、これも1ページ目ぐらい読んだだけだ。でも読みやすい。うん、なるほど。読みやすいね!
で、思ったんだけど。
ドラッガーが書いているのは概念で、もしドラは、ドラッガー概念を使ったフィクション表現だ。概念は汎用性が高いけど、加工してフィクション表現にしないと食べづらい。多くの人は概念なんかより、フィクション表現を食べたがる。食べやすいからね。
そしてこの考え方を使えば、他にもいろんな物語を作ることができるだろう。ドラッガーだけじゃなくて、相対性理論がわかりづらいなら、相対性理論をわかりやすいフィクションにして、食べやすい形に加工してある物語とかあってもよさそうなものだ。他にも熱力学第二法則がどんなものなのかをわかりやすく描いてある「銃夢」とかね!
だが、そのフィクションが本体だと考えているのは間違いだ。やがて魚は切り身で泳いでると言い出すだろう。物事はどの地点から見たのかでいろんな側面が見える。