本自炊の限界

「岸部露伴ルーブルへ行く」を買った。2009年にルーブル美術館に展示された漫画で、フランス語版が出ていることは有名だが、日本語版が発売された。完全フルカラーでフランス語版と一緒。巻末にインタビューがちょっと乗っているぐらいの違いだ。個人的には「岸部露伴は動かないシリーズ」もまとめた本が出るのかなぁ、などと思っていたので、ちょっと意外。本は2700円で、漫画というよりは画集のお値段。
この漫画を読んでいて思ったのだが…
自炊ってのは、こういうところが限界なんじゃあないかなぁ、と思うのだ。「岸部露伴ルーブルへ行く」を読んだとして…この本を裁断してスキャンして、それでOK、本体は捨ててもいいやってヤツがいるだろうか。
漫画が画集のような形状だ。アメコミはこちらの方向に向いている。だが、日本の漫画は小説のような形状だ。スキャンして、中身がわかればいいや、というような方向を向いている。だからスキャンして本体は破棄しちゃってもいいや、となる。
売れている漫画家なら、カラー表紙なんかを画集として出せる人もいるだろう。だが自炊している人は、そのカラー画集をスキャンして、裁断しちゃった本体を破棄、って考えるだろうか?
モノクロにしたおかげで、多くの人が参入できるようになった。物語性も盛り込みやすく、週刊連載なんてのも可能にした。すばらしいシステムかもしれない。だが逆の方向性を切り捨てている、という見方はたしかにある。