防御のための攻撃と、侵略のための攻撃

子犬が甲高い声で鳴いている。向こうからしたら、人間はそりゃあ怖いだろう。こっちは体重が10倍あるほどの生き物だ。こちらがちょいと蹴ったら、犬は死んでしまう。人間の10倍の体重、500kgの動物を考えてみよう。虎でも300~400kgだ。怖い。
そんなわけで、子犬はきゃんきゃん鳴く。これは防衛のための攻撃だ。
たいして、侵略のための攻撃というものがある。たとえば、キリスト教徒が布教をしている。これは侵略だ。防御のためではない。同じ攻撃でも、向いている方向性が違うのだ。
自分が攻撃的になっているとき、多くの人は小動物のように「防御のための攻撃」をしている。たいして、布教のようなものは、自分が攻撃的だと認識しづらい。自分が侵略していると認識していない。相手を救っているとさえ考えている。相手のためにやってあげているのに。そんな考え方だ。それは攻撃的だ。寛大さはそこにはない。