片面しか見えないのと、片面だけを見るのは違う

聡明な人だな、というのを見かける。そして愚鈍な人だな、というのを見かける。自分は聡明になれるだろうか。どうやったらそうなれるのだろう。そこで、自分と比べ、すばらしい人はどう違うのか、人の思考や判断というものをいくつかに分類してみる。たぶんこんなふうな流れになる気がする。
●物事の片面しか見えていない→物事の両面を見ている→物事のいくつもの側面を見ている→物事の片面だけを強調して見せる。
●動けない。→動くか動かないかを考えることが出来る。→動くことができるが、動かないを選べる。→動くか動かないかを決めて行動することができる。
僕みたいな人間はそうなんだけど、何か問題があったときに、動けないで物事を呆然と見ていることがある。そういうとき、あとから後悔して「行動しないものは、すべてゼロと同じだ」という極論を持ち出したがる。
自分で判断した。自分でそう決めて行動した。そういう物事には「他人の責任」がない。結果が悪かったとしても、それは自分の判断力がなかった問題であり、自分の無能さだけが残る。だが、ここだとまだ足らない。結局「自分のせい」にしているだけだ。「他人のせい」にしているのとデザインは同じだ。
「自分を責めない」「他人のせいにしない」その先があるだろう。そんなふうに予想している。