善意という名の服を着て

サバンナのガゼルがライオンに襲われ食われているのを「うひゃーカワイソー!」ってにやにやしながらメシ食いながら言ってる連中と、震災のテレビ映像見ながら騒いでる連中って、そんなに違わないだろ。
彼らは何もしない。カワイソーって言ってるだけだ。問題を解決しようとはしない。大変だと騒いでるだけだ。彼らは善意を持っている。被災者に対して、かわいそうだとも思うし、大変だとも思っている。だが、それだけだ。
自分が弱者でありたい、と望んでいる人は多い。だがそのことに自覚はない。いじめについても同様。自分が他人をいじめたい、迫害したい、差別したい、そういう認識が足らないために、いつまでもなくならない。善意という名で他人をいじめていて、迫害していて、差別していることに気づきもしない。善意のカバーが中身を見づらくしている。