貧乏神の話

あるところに貧乏神がいた。多くの人が思い描く貧乏神とはちょっと違う。彼がいるとお金がなくなる、というわけではない。彼はごく普通に生きている人間だ。学校に通っている学生である。しかし不幸になる。不幸を招くことができる。それが彼である。
彼には人間が持っていない、いくつかの能力がある。一つは、人の欲するものが見える能力。一つは、人を不幸にする能力。逆に、彼には人間が持っている、いくつかの能力が欠けている。一つは、他人に幸福にする能力。もう一つは、他人から覚えてもらう能力だ。
クラスメートは誰一人として、彼のことを覚えていない。ただ彼は自然と存在していた。無視されているのではない。クラスメートに話しかければ返事もするし、会話もできる。ただ、誰と会話をしたのか覚えていない。
彼は自分の能力を卑下していた。他人を幸福にできない。不幸だけが彼の周囲にある。哀しい。寂しい。愛されたい、必要とされたい。そんな気持ちがあった。彼のことを道具のように使おうとする連中もいたが、彼は臆病だったので逃げ出した。
誰も彼のことを覚えていない。ところがときどき、珍しい能力者が現れる。彼を覚えている人間。そんな能力者と出会ったのだ。それは鼻の長いウサギだった。ハナウサギと名乗ったそいつは、貧乏神に告げる。「誰でもいい。人を幸福にして見せなさい」
貧乏神は考えた。
そしてクラスメートを幸福にしたいと思った。貧乏神の友人(もっとも向こうは覚えていないが)A君がいる。AくんはBちゃんが好きだった。BちゃんはAくんが好きであることは明白だった。でもそれぞれに言い出せないようだ。
貧乏神は、ふたりをくっつける努力をする。ただし貧乏神である彼が持っているのは、人を不幸にする能力だけだ。なので貧乏神は不幸を武器にすると考えた。Aくんのおかあさんを朝寝坊させる→Aくんお弁当なし→Bちゃんに分けてもらい一緒に弁当を食べるという寸法だ。Bちゃんを転ばせてAくんに助けさせる、そんな寸法だ。
さて、彼は不幸を素材にして幸福を生み出すことができるだろうか。そして貧乏神は考える。「不幸」とはなんなのか? 一見不幸に見えるそれが、結果として幸にすることができるとしたら。「結果」とはなにか?