自分から見えないものが、存在しないとは限らない

むちゃくちゃな漢字を割り当てた名前を、キラキラネームという。
漢字だけ表記されてもまったく読めない。実際、日本の戸籍は読みを登録することがないので、読みはまったく自由である。たとえば「太郎」と書いて「カイザーナックル」と読むとか。いや、ホントに。勝手に読んでろ、って思うけど。
で、ちょっと思うのは、
そういう名前をつけたがる人たちの思考が理解できない。だが、理解できないのは、僕がそっち方面に頭が回転しないからだろう。
実際つけるヤツがいる、ってことは、そういう方向の思考がある、ってことだ。彼らには彼らのルールがあるはずなんだ。そうじゃなかったら「カッコイイ」という法則が成り立たなくなってしまう。
なんでそっちに回転させることができないのだろう? 頭が固いからだろうか。
同じように、自分が「嫌だな」って思う方向へは、なかなか頭が回転しない。「それは僕とは違う」と断線してしまい、相互理解は得られなくなってしまう。FaceBookについても同様の感覚。たぶん、あれが盛大に、うまくまわせる「なにか」がある。コツみたいなものが。ただ僕からは見えない。