「好き」と「出来る」の差

仕事で、車関係の本を作っている。ところが僕は車についてさっぱり知識がない。たとえば、TOYOTAとかHONDAぐらいなら「ああ、車のメーカーなのね」ってわかる。サスペンションってのが、おそらく衝撃を吸収するためのものであり、タイヤと本体ボディの間に装着するのもわかる。
でも、FREEDって言われても「レイアースのキャラが乗ってたロボの名前だっけ?」ぐらいだし、ディフューザーとか言われても「デジカメでそんな単語聞いたことがあるような気がする」とか、スポイラーと言われても「スポイト的ななにかなのか?」とかぐらいの知識だ。
そんなヤツが、サードパーティのブランドの名前を言われてもさぁ。さっぱり知らないわけですよ。たぶん車詳しい人から見たら有名なんだろうなぁ、そのブランド、って車用品の名前で、例えるならMac詳しかったら「クラリス」って言われて「あー、あれな」ってわかるぐらいなんだろう。
でもさぁ、クラリスの仕事したい、って人、世の中にいっぱいいるだろう。車用品のそういう僕が知らないブランドとか部品の仕事とかしたい人だって、世の中にいっぱいいるはずだろう(予想)金なんて多少でいいですよ、あのブランドの仕事ができるなんて光栄です!って言うような人がさぁ。なんで僕がやってるんだ? まったく車の知識が皆無で、ゲーセンでカーレースゲームやるたびに「アクセルって右だっけ?」って聞いてるヤツがさぁ。
…などと思っていて。気づいたのは。「好き」と「出来る」のは、まったく別の能力だってことだ。僕はその本を作る能力がある。好きというベクトルのエネルギーは仕事にはほとんど関係がない。
「何ができるのか?」ってのが仕事だ。好きってのは、それを安く上げるためのテンション代金にしかならない。