「善悪」と「僕の役に立つ」の差

溢れるように、思いつく。流れるように、書く。それで完成。楽しいことを考える、こうやったらもっとよくなるんじゃないか。もっとわかりやすく、多くの人に受け入れられる形状になるんじゃないか。どうしたら理解されるだろう。どうして理解されないのだろう。
いつまでも未完成で、いらだつことが多い。しかし、それが流れている、ということだ。ブログのように。書き続ける。考え続ける。そういう姿勢が、
「いいや、結果が欲しい。俺は結果が欲しい。結果を出せ。そんな甘ったるいことは、ブログでやれ。完成品を出せ。提出しろ。成功をよこせ。どうしたらいいのかを考えろ。打って出ろ。問題点を洗い出せ。解決方法を提示しろ。足を動かせ。奇麗事を並べ立ててもけっして許さないぞ」
多くの人が、お前を強欲と言うだろう。蛇のようにしつこく、嫉妬した姿が醜いぞ。
「しるかボケ。欲しいのは結果だ。欲がなければ人は動かない。先が見たいなら、俺は這い擦るしかない。鳥に憧れて這いずるしかない。泥が怖くて蛇ができるか」