不自由の自由さについて

ちょっと気になったので、グーグルで検索してみた。
「自由の不自由さ(約 45,200 件)」と「不自由の自由さ(約 5 件 )」だった。前者はわりと語られるけど、後者はあんまり語られていないようだ。文章化するのが難しいのだろうか?
なので、「不自由の自由さ」について書いてみる。
例えば犬を躾けるとする。すると、外に出ていろんなところへ連れて行ける。躾けられていない犬はどこへもいけない。
例えば働いて金を得る。すると、金の分、自由を手に入れられる。働いている分、働いていないよりも自由を失っているように見える。
これが不自由の自由さである。小さな不自由を選ぶことで、より遠くて広くて大きな自由を手に入れている。「不自由だ」と思う場合、自分の不自由がどのレイヤを見ているのかを考えるのだ。
フリーターが本当に自由だろうか? 1000万円稼ぐような連中が仕事ばかり考えていて本当に自由だろうか? この場合の自由はどこのレイヤを見て言っているのだろう?