僕は「考える」という行為をしている

この誰も読んでいないようなブログを延々と続けている。続けている理由は、僕が考えるという行為をするためである。多くの人に理解を得たい、と思うことは、たしかにある。みんなからはてなスターをもらったり、ブックマークをしてもらうのはうれしいことだ。みんなにウケる文章を書くことは重要だし、すばらしいことだ。
だが、それを超えて、単なる趣味にしているのは、僕が「自分が考える」ということを重要視しているからだ。自分が思いついたこと。いろんな視点から見ようとすること。そんな姿勢を重要視している。だから僕は、他人が考えたものを見たい、と思っている。Twitterもブログも、他人の考えが文章かしたもので、その敷居がホームページ>ブログ>Twitterになっているだけだ。
これは手助けすることもできないし、教えることもできないだろう。
ただ。
問題がないわけではない。今のところ感じているのは「重量」だ。twitterをやっていると140字の重さばかりを選んでしまい、10000文字の重たい文章を敬遠してしまう。本来は、10000字でしか表現できないものが、かならずあるはずなのだ。ブログも同様に、この程度の長さに慣れてしまい、腰を据えて長文を書くという行為、ひいては、腰を据えて長い間考えるという行為から遠ざかってしまう。
もっと長い間かかるような、大きな「考え」に取り組んだ方がいいのかもしれない。