会議の仕方をご存知ないか?

自分の両親が会議(打ち合わせ)の仕方を知らないことに気づいて驚いている。もしかしたら、これはウチだけではなく、多くの人に関わるものかもしれない、と考えたので書いておく。
弟の結婚式がハワイで行われるため、ハワイのどこへ遊びにいくかを家族で決めることになった。バラバラに各自好きなことをやればいい、と思っていた僕だが、どうやら両親は家族で動きたいらしい。しかしこれをはっきり言わない。口頭では好きにすれば、といいながら、それはダメあれは気に入らない、と延々言っている。何かを決めるにしても、全員が集まらないと気に入らないと言い出す。そんな親を見ていて思ったのは、「もしかして会議の仕方を知らないのではないだろうか?」という疑問だった。
少なくとも、父親はサラリーマンをしていて、打ち合わせぐらい何度もあったはずである。それでもこの有様なのは、打ち合わせの仕方、というものが近年になり大きく変わった可能性もある。しかし、根本的な部分はかわっていないはずだ。
何かというとそれは「決定事項が先にある」ということだ。ところが両親はこれが理解できていない。みんなでその場で意見を出し合い、みんなの総意で決まると思い込んでいるのだ。そうではない。個人が「こうする」と決めたことを発表するのが会議の場である。何にも思いつかない者、その場で考えている者は発言権がない、とさえ僕は考えている。両親は、会議というものを理解していなかった。みんなで決めると思い込んでいるのだ。その場で考えるものだと思い込んでいるのだ。
そういうダラダラした会議ばかりをしてきたのだろうか。いまだに社会にはそんなダラダラした会議が蔓延しているのだろうか。自分が参加するものは、完全に会議を理解した人間だけで構成されているものばかりだったので、こんな会議にひさしぶりに参加した。会議そのものが近年になり進歩したのか、それとも彼らがそれで生きてこられる程度の社会だったのかは、すでにわからない。そんなんでよく生きてこれたな、という印象を受けた。