普通信仰

自分は悪くない、自分は普通だ、自分はヘンじゃない、と周囲にアピールしている人を見かけた。そういう「普通信仰」のために、自分が自分を檻に閉じ込めていることも気づかないようだ。
僕が普通をやめたのはいつだろう? もう思い出せないが。ヘンだといわれても、普通じゃないといわれても「うん、そうでしょうね」と思うだけだ。逆に「普通だね」といわれても「うん、そうでしょうね」と思うだけだ。つまりどちらでもいい。ヘンでありたいわけでもなく、普通でありたいわけでもない。僕はどちらも選べる。
「ヘンかもね。でも優れた人は、たいていヘンだよ」(アリスインワンダーランド)
そうやって自分を慰めているのかもしれないが、普通信仰の人は、ヘンである、ということを受け入れたらいい。逆に偏屈信仰の人は、普通であるということも受け入れろ。同時にできる。同時に存在する。二つは相反しているように見えるだけだ。コインという視点でみれば、表も裏も関係がない。