良い気、悪い気、普通の気

「人間が使ったモノには、悪い気が溜まる。思い込みとか憎しみとかね。だからウチはわりと、ばんばん捨てて、新しいものを買うんだ。そうすると新しいものが入ってくる」
ある人から聞いた話で、なかなか面白いと思った。
僕はコレクタなので、物が捨てられないが、コレクションしているもの以外はもっと捨てていくべきなのだろうな、と思う。しかし、この話、実は聞いているときからすこし違和感があった。ただそれがなんなのか、よくわからなかった。自分がコレクタ気質だから理解が難しいのかもしれない、と考え、放置していたんだけど、数ヶ月ほど経って思いついた。
「悪い気」というものがあるのなら「良い気」というものもあるのではないだろうか? それはどこに存在するのだろう? それは溜まらないのだろうか?
たとえば聖骸布というものがある。これはキリストが死んだときに包んでいた布のことで、聖遺物の一つと言われている。これを先ほどのルールに当てはめて考えると、キリストの良い気が侵食した布、と考えられる。
なぜ、人間の使ったモノには、良い気が溜まらないのだろう? 少なくとも、僕が使ったものは、良いものが溜まるね。だから、僕が使っている道具が限界になったとき、その道具は「私はここでおさらばです」と告げて来る。僕は「大儀であった」と言ってゴミ箱に捨てる。
僕は道具を厳選して買う。購入に際し2年3年長考することもある。
「良い気が溜まる」という考えと「悪い気が溜まる」という考えは、相反するだろうか? どちらが優れている、というわけじゃあない。お互いが反発したり卑下したり相手を馬鹿にしたという意識ではなく、尊敬の念を持って自分の反対意見を受け入れられるだろうか?