現代の写経−小説を写してみよう

写経というのは、経典を写すことである。昔はコピー機とかなかったから、みんながオリジナルから手書きして、コピーを作り、そのコピーがコピーを作り…とやっていた。
さて、コピー機が発達した現在において、写経はなくなってしまったのだろうか。
僕は在ると思う。
そして僕はときたま、写経をする。と言っても、仏教のお経やらキリスト教徒の聖書を写し取ることではない。僕がやる写経は、小説の書き取りだ。しかも、別に手で書くわけではない。キーボードで打つ。
意味を考え、文字列をかみ締め、たまに写経する。テキストのコピーペーストではダメだ。文字を自分で打たなくてはならない。と僕が考えているだけで、コピーペーストでもいいじゃん、という人もいるだろうし、キーボードじゃ意味ねぇよ、って人もいるだろう。自由だ。
映画の写経なんてのもある。ストーリーや描写の書き出し、台詞の言い回し、舞台や映像のカメラワーク。そんなのを文字に起こしてみる。
自分が聖書と信じている本がある。そういう映画がある。そういうものを書いて写す。もちろんオリジナルがあるし、テキストデータもあるが、それでも書いてみる。何度読み返しても発見があったりする。
たぶん昔の人は写経をそうやって、書き写していたんだろう。教師は生徒に、それを教えられるだろうか? 教えられるものなのだろうか? 教えられないとしたら、生徒はいつそれに気づくだろう?