他人の描いた幸せが、自分が描く幸せだと思っている人たち

郊外の大型ショッピングモールを眺めている。子供たちが騒いでいる。兄弟もいるようだ。ご両親であろう男女が、バーベキューセットを買うか買わないか話していた。駐車場は満杯だ。立体駐車場に入るために渋滞が起きている。
いい車に乗り、数人と恋愛して、年齢になったら結婚し、子供を生み、一軒家を買い、庭でバーベキューをするのが、彼らの夢なんだろう。
周囲の同級生も同じような道を歩んでいるから、自分がそうであることを疑わないのだろう。それが環境というものだ。

そうかね。
もちろん自由だ。その逆も。
彼らには彼らの幸福があるだろう。自分は幸せだ、と思えることは重要だ。
これらの思い込みは、郊外じゃあなくても存在する。男女差ではなく存在する。
いい大学を出て、いい会社に就職すると幸福だとか。子供をジャニーズに入れたいとか。夫が稼いでくれないと、自分が延々働らかなきゃいけないじゃんとか、政治家は絶対悪いことをしているとか、上司は自分にイジワルをしているとか。
それは誰が描いた幸福だろうか。それは誰が描いた不幸だろうか。