オリジナルとパクリ

パクリについて引き続き、オリジナルとはなにか、という考えについて。
僕はオリジナル、というものは「どこからパクってきたかわからないもの」と考えている。ゼロから作る必要はないし、作れる人間はいないだろう。日本語だって古来から伝わるもので、言い回しはどこからか学んだものだ。僕は文章をジョジョから学んでいるので、言い回しに倒置法を多用するし、二重否定も平気で行う。現実にある何かを見て文章の着想を得たり、誰かのブログを読んで自分なりの考えを書いたりもする。それはそのモトとなるものがあるはずだ。ただ僕を通過した、僕が租借し、僕が吐き出し言葉だ、というだけで。
オマージュとパクリの違いなんかもあるだろうけど、まあ、善意から発したものなのか、悪意があるのかで意味合いが違ってしまうこともあるだろう。だとしたら、それは主観によって違ってしまうものであり、ただの思い込みでしかない。
できれば綺麗なものを見たい。綺麗なものを書きたい。