センターオブユニバース

またまた中心点のお話。
自分のブログを読み返していて、このネタ何回目だよ、と思うことがあるけど、まあ、理解されるかされないかは、そのときによって違うわけだし、今まで理解できなかったけれど、違う表現をしていれば、理解できる人が増えるかもしれない、という希望的観測で書くわけです。
で本題。
たまーに、視点の中心が自分ではない人間がいる。自分の行動なのに、他人に支配されている人間がいる。自分で自分を支配しておらず、他人の意見を中心にしたがるのだ。自分という意識の責任を他人に押し付けている。自分の人生なのに、他人のせいにしている。
たとえば、「他人と違うかもしれないが、僕は気に入っている」と「みんなと同じかもしれないが、僕は気に入っている」は視点が同じで、これは自己が中心である。「他人と違うから気に入らない」と「みんなと同じだから気に入らない」は視点が同じで、これは他人が中心である。
中心点がどこにあるのかの差だ。
自分が会話をするときに、自分の意見を言うときに、自分が何かを決断するときに、自分が物事を考えるときに、僕は自分を中心にして考えるようにしたい。結果的に、他人に役に立つことがあるかもしれない。ただそれはたまたまだ。中心は常に自分であり、僕が能力を振り回している。そうありたい。そうあれかし。