命を、もっと気楽に扱ったらどうだろう?

あんまりこういうことを書いている人がいないのは、たぶんあまり良いことではないとか、多くの人から良く思われないであろう、と想像するからである。しかし、それは本心に対して正直な状態だと思わない。なので、僕は悪に対して正直な意識で書こうと思う。
それは、死についてのイメージだ。
みんな、眠るようにコロッと死にたい、って言うが、そう行動しているように思えない。勉強やってないよ、ヤベーってのと変わらんのだろうか。コロッと死にたいなら、それ相応の残酷を成さねばならないが、それが受け入れられる社会体制は、まだ遠いように思える。もっと命を気楽に扱える時代になるだろうか。尊厳死がようやく一部認められたように、もっともっと命の権限を、個人が所有したらどうだろう。
現在、自殺はマイナスの扱いを受けているが、そうではなく、単純にいらないから捨てたのだな、というほどに、軽く気楽に扱われるときがくるだろうか。自分の命は、自分の管理下にあり、自分の意思で破棄できる。
残酷な思想だし、できればそう扱って欲しくない、というのは、僕が現代の常識みたいなものを盲信しているからなんじゃないかな、常識というものを取っ払って機能美だけを追求したら、そちらになるのではないだろうか、って思うことがある。