得の中心はなにか?

中心点というものについて、僕はわりとうるさいらしい。というのも、他人との間に、なんらかの齟齬を感じるとき、その話の中心点のズレによって起こっている、という問題が多い。
たとえば、ある記事で、クーポン券で得した、あれを使わないヤツは情弱wみたいなネタを見かけた。クーポンとか、バーゲンとかもそうなんだけど、あれに必死になっている人たちの言うところの「得した」って意識になーんか齟齬を感じていた。彼らの言う「得」と僕の言う「得」の考えが違うように思うのだが、明確な指摘ができなかったのだ。
それがなぜヘンだと感じていたのか、ようやくわかった。中心点が自分なのか、クーポン券なのかの違いだ。
あんなんたまたま手元にあったら得であって、それのために自分が行動しているって、中心がずれてる。クーポン券に振り回されており、クーポン券を振り回していない。
中心は常に自己に置くべきだ、と僕は考えているのだ。それは僕がそう考えているのであって、他人は知らない。彼らはクーポン券に振り回され、得をした気分なら、それはそれで良いと思う。僕はそれが得だとあまり感じない、というだけだ。