不自由という娯楽

「みんなで集まってゲームやろうぜ」ってのは、不自由だ。だが楽しい。楽しいものは、わりと不自由なものが多い。ゲームだって基本的には不自由を楽しむ遊びだ。自由度が高い、なんていっているゲームがあるが、本当に自由が好きならゲームなんて制限を受けないほうが自由だろう。
スポーツという娯楽もまた、不自由を楽しむ娯楽だ。自分が思い通りに動けないものを、少しずつ訓練により強化し、やがて動けるようになる。頭の中で動かすように、実際のハードウェアを動かすのだ。
盆栽をやっているとわりと思うのだが、あれは自然を愛する人間がやる娯楽ではない。小さな器に閉じ込めている。自由に切断し、接合し、生かし、殺すことができる。たしかに植物という生き物は、自然のパワーにとても過敏だし、それなしでは生きていけない。しかし植物に自由を与えるのなら、そんな小さな器には閉じ込めないだろう。
実に不自由で、気の長い娯楽だ。