個人が物を持つ、という状態について

僕はコレクター癖がある。いままでいろんなものをコレクションしてきた。基本的には金にならないものが多く、金もかからない。ただコレクションしていたものが高騰し、やたら価値が高いものになってしまうことはある。まあオタクなので仕方がない。
これが、人が物を集める、個人が物を持つ、という状態である。
さて、これが大家族になり、自分の部屋がなかったらどうなるだろう、と想像する。個人で自由になるものは少なくなり、物を集めることも難しくなるだろう。集めたものを壊されたり、なくされたりすることもあるかもしれない。実際、実家に暮らしていたときにはそれがあった。一人暮らしを初めていろんなモノを抱え込んでいるが、それは望んでコレクションしているものだ。
たとえば、なんらかの問題が発生し、誰かとルームシェアして暮らすとしたら、どうなるだろう。相手が信頼できる人間ならば問題はないが、例えばたまたまくじ引きで割り当てられただけとか。ルームシェアとは複数の人間が、部屋という物を持っている状態だ。
共存、共栄、共有、共用、という状態は、本当に豊かさから生まれるだろうか? 豊かになれば、結局、細分化し、個人が持つのではないだろうか?
例えば、ルームシェアは楽しいよ!って人でも、それぞれが大きな家を持っていたら、そのどちらかの家に遊びに行く状態になるのではないか?
今のところ、豊かさによって細分化されるという視座が、僕から見える視座だ。