権利とか理由とか、そんなのはない

生きる理由だとか、付き合う権利だとか、なんかたまーに、オマエは中学生か、みたいなことを見かけるけど、たぶん中学生なのだろう。そのうち、そういう棘が取れる。まだ上流にある石のようにとがっていて、下流に流されてくるとどんどん丸く小さくなっていく。
まあなんというか、そういう理由付け、みたいなものに弱い人がいる。論理的展開が好きな人ほど、これに弱い。逆に、体育会系を眺めていると、これがトンデモ理論で、理由はむちゃくちゃだがとにかくやれ、みたいなのを見かける。それはそれで怖いけど、まあそういう手法が有効だったりするから、一概に悪い、とは言えない。
もっと便利に使ったらいいんだよ。理由を探すのに必死な人には、理由を与えてもいいけれど、理由がなくてもやったほうが有利なことっていっぱいあるでしょう。
意味とか権利とか、そんなのは現象が起こったあとから認識される、ただの陽炎みたいなものだ。現象のほうが先だ。理由に負けないように、と必死に言い訳を探している自分に向かって思う。