面白筋力

「面白さ」というものには、いくつかの分類があるのではないか、と考えている。
多くの人が理解できる面白さとか、自分だけしか理解できない面白さとか。その瞬間だけが面白いとか、長期にわたって楽しめるとか。説明しやすいもの、説明しづらいもの。溢れてこぼれるような面白さと、搾り出すような面白さ。文化によって。いろんな角度、いろんな状況、いろんな場面において。
そんな風に、いろんな面白さ、というものがあって、自分には見えていないものもあるだろうし、自分にしか見えていないものもあるだろう。
ただ、
そういう面白いものを見よう、という意識がある。この意識は、筋力のようなもので、鍛えていればそのうち、意識しないでも考え付くようになる。面白さが見つけられないのは、面白さを見つける筋力が足らないのだ。