「論理」vs「x」

yahoo知恵袋とか発言小町とかを見ていると「論」とは別次元の視点を感じる。それがなんなのか、よくわからない。とりあえず「x」としよう。
この「x」については、ときどき見かけることがあって、非実在青少年法なんかもそうだった。論理を用いていたり、理論武装している人間の視点から見ると、非実在青少年法をまじめに語っている人の意見が、まったく理解できない。「お前なに言ってんの????」とハテナばかりが頭に浮かぶのだ。ところがこの「x」の視点から見ると、それはごく自然なことに見えるらしい。…見えているとしか思えない態度を取っている。少なくともそれをまじめに推奨し、推進している人間がいるということは、そういうことなのだろう。
「相談事」に対して、対処を教えて欲しいのが「論」だとするならば、同意して欲しいだけが「x」なのではないか、と考えてみた。どうだろうか? 論理が「他人のためにある」とするならば、「x」は「自分のためにある」ものなのだろうか。
さて「x」とはなんだろうか? 「x」など存在するのだろうか? 「x」を論理側から証明や説明できるものなのだろうか?