歩く才能

たぶん僕には「歩く才能」があるのだと思う。
他人の歩き方を見ていると、たいてい、まっすぐ歩いていない。ふらふらと左右に揺れて、周囲を見ていない。速度は遅く、それなのにケータイ電話のモニタを見ている始末だ。本人はまっすぐ歩いているつもりなのだろうか、と首を傾げることがある。「僕より運動能力高いはずだろうに、なぜ遅いのだろう?」と考えていた。
もしかしてこれは、才能の問題なのではないだろうか? だとしたら僕には歩く才能があることになる。
同じように、人生とか勉強とか仕事において、才能のある人間が周囲を見ると、多くの人がふらふらとしている状態であり、もっとまっすぐ歩け、まじめに歩け、と見えているのかもしれない。僕はそちらの才能がないので、たぶんふらふらとしているのだろう。無自覚に。
これはエネルギー効率と同じ発想だ。話し方、人付き合い、絵を描く、歌を歌う、いろんなことに対して、上手な人や、見えている人は「そんだけのポテンシャルがあったら、うまくできるだろう?なにやってる!」って思うのだろう。ただ、使い方が悪い(もしくはわかっていない)ので、本来持っている全力は発揮されていない。