だれのせい?

4つの現象をあげる。「人様のおかげ」「他人のせい」「自分のせい」「俺様のおかげ」この4つだ。
「人様のおかげ」って思考と「他人のせい」って思考は「他人が主軸である」という視点において、同じ方向性にある。
同じように、「自分のせい」って思考と「俺様のおかげ」って思考は「自分が主軸である」という視点において、同じ方向性である。
どちらをとるのかは自由で、自分に得なほうをとれば良い、と僕は考えているが、多くの人は、そうじゃないようだ。自分を責めるタイプは「自分のせい」と「人様のおかげ」をとりやすいし、他人を責めるタイプは「俺様のおかげ」と「他人のせい」をとるように見える。
さて、この4つの現象をさらにマクロ化すると「××に責任がある」という1つの現象に見えてくる。自分の責任にしたがるのも、他人の責任にしたがるのも「どこかに責任がある」という認識だ。
自分は、どういう分類をしているだろう? どういう認識をしているだろう? どういうフィルタがかかっているだろう? どういう選択ができるだろう?
フィルタがかかること自体は問題ではない。フィルタがかかっている、と認識できることが重要だと僕は考えている。
さて、そんなふうに考えているのはだれのせい?