手塚治虫すげぇってブッダが言ってた

「絶望」「恨み辛み妬み嫉み」「憤り怒り」などは、人間がそもそも持っている機能であり、それを排除するという考え方ではなく、その感情を味方つけることはできないのだろうか? では同様に「死」「病気」なども、人間がそもそも持っている機能と考えられないだろうか?
復讐を誓うことにより生き残る力を得ることがあるだろう。つまり「復讐」は「生きる」という観点において、味方にできる。同じように、絶望も憤怒も嫉妬も、自分を引き伸ばすための、あるいは飛び上がるため、駆け登るための、力になりうる。では「死」は?「病気」は?「老い」は?
どの観点から見ればよいのだろうか。少なくとも「生きる」の観点から見ると、うまく動かないように思う。宇宙という巨大な生き物の新陳代謝である、人間は宇宙という生き物の細胞の一つに過ぎない、と考えると、わかりやすいかもしれないが、非常に観点がキリスト教じゃあなく、仏教寄りの思想ですね。理由は手塚治虫ブッダ読んだからです!