制限と自由

非実在青少年を眺めていて思うこと。
自由な土壌で、自由に育つ巨木があり、制限された土壌でも芽を出す根性大根のような植物もいる。この視点において、「天才を制限することは出来ず、かならず突出して芽を出す」
しかしながら、例えばアフリカの部族に天才的な物語を作る人間が居たとしても、それを描き止める道具がなければ、喪失してしまう。「環境によって制限を受ける」
一時期、エロゲーエロ漫画界において、姉モノが大量発生したことがあった。しかし僕のような完全姉属性持ちのお眼鏡にかなうものは少なく、ただの姉を冠しただけの内容の薄いものが大半だった。つまりそれだけゴミが出た。それでも一部の優れた姉モノは生き残った。
個人的には自由な土壌において、自由な闘争をしているほうが、より良いものが出てくると感じる。それだけゴミが大量にでるだろうが、それが豊かだ、ということだ。