面白いが正義、という邪悪さ

ブスの瞳に恋してる」の著者、鈴木おさむ。彼は、付き合う女性に屁をかけてみる、という。笑える関係が最高。最悪なのは、何も無かったことにするヤツ、と言っていた。
当時は、作家とかやってる人は、面白いということをよく考えるなぁ、なんて思っていたが…屁をなかったことにされる、という行動について。それって、「お笑いをツブされている」という見方もできるが、「お笑いを強要している」という見方もできる。
最悪なのはどちらだろう? 自分のお笑いを強要する、ってシモネタを言い続けるセクハラオヤジと、差はあるだろうか? そんなのと比べるな、自分のほうはセンスがいい、という宗教に入っているのか知らないが、他人が入っているかは別の話だ。多くを楽しませようとしてやった、というかもしれないが、ストーカーだって愛のために行動している。
それは、面白いが正義、という邪悪さを振り回している、ということだ。面白に変えちゃえばいいのに、と強要する宗教だ。そういう宗教に入るのは自由だが、入っていない人間を迫害している。僕は邪悪で、面白教に入っているので、残念ながら、他人を迫害してしまう側の人間だ。気をつけなければならない。