価値の価値

たまに「価値の話」になると、ダイヤモンドと豆腐という喩え話が頭に浮かんでくる。なぜその喩えなのか、自分でもよくわからないんだが、自分的には、月とすっぽんみたいな感じがしている。少なくともこのブログでは書かれていないようだ(検索したらひっかからなかった)ので、もしかしたら初めて書くのかも。というわけで、価値の話。
生きている価値があるとか、やる価値があるとか、そういう言葉を見かけるときがある。そのたびに、価値というものは誰が決めるのだろう、と考える。価値がなかったらダメなんだろうか? そこで出てくるのが、ダイヤモンドと豆腐だ。それぞれが自分の価値について主張をしていた。
ダイヤモンド「俺って価値があるじゃん。永遠の輝きっつーの?」
豆腐「俺って価値ないし。賞味期限だって切れてるし」
ダイヤモンドは、自分で自分に価値があると思うだろうか? 豆腐はどうだろう? ある局面において、例えば遭難時、ダイヤモンドより豆腐のほうが、はるかに価値が高いときはあるだろう。常に価値があるわけではないし、常に価値がないわけでもない。さて誰が価値を決めているのだろう? 
それは他人だ。ダイヤモンドも豆腐も、何も考えちゃいない。価値なんてのは、他人が勝手に下す評価に過ぎない。他人が勝手に評価したものが価値だ。その評価に価値があるとか価値がないと決めるのは、自分だ。ダイヤモンドに価値がある、と誰が決める? 少なくともダイヤモンド本人じゃあない。ダイヤモンド本人が、自分を豆腐だと考えているかは、まったく別の話だ。