お笑いと愚痴の有様

とにかく忙しい。仕事が忙しいのは、お前が無能だからだ。とか言われると、タモリ劇場ばりに「そーですねー」と言わざるを得ないんですが、なんですでに予定が入っているところに、あとから無理やり入ってきて「自分のは急ぎだから優先しろ」って仕事が多いのだろう。そうやって生きていくつもりか。ゴネ得の世の中か!
…と愚痴を書いてみました。さて、本題。
愚痴ってのがウマイやつを滅多に見かけない。上記のように150文字程度でもうんざりして、読むのをやめちゃう人だっているんじゃないだろうか。愚痴ってのは、上手に言うのがそうとう難しい。はっきり言えば、僕は他人のヘタクソな愚痴が嫌いです。
しかし、愚痴がうまいヤツってのはかならずいるはずだし、自分でも聞いているはずだ。「松本人志の許せない話」ってタイトルを見たときに、それを感じた。彼はいつも怒っていて、それをお笑いという形状に変えて、エンターテイメント化している。つまり、愚痴がうまいのだ。
そうやって、自分で租借し、取り込み、上手に変換して自分のプラスに持っていける人がいる。愚痴を味方につけている。カバー程度のユーモアで包んでいるヤツとか、嘲笑や自嘲ではなく、もっとうまいやり方があるという証明だろう。
愚痴を言うな、というストップじゃあない。それは、怒るな、とか、悲しむな、というのと同じだ。そうじゃあなく、愚痴をもっと味方につけたい。少なくとも、お笑いに変換している手本は見ているはずだ。他にもいろんな変換があり、いろんなエネルギーへと変えることができるだろうと予測する。