新年度に向けた準備

買い物に行くと、妙に人が多い。服屋でベルトを選んでいると、この服屋の年齢にはちょっと見合わないおばさんとすれ違った。普段は見かけない年齢層だな、と思って目で追うと、お子さんらしい青年がスーツを選んでいた。
そうか、親が買ってあげるのか。そういう親子が多いのか、僕は店員にあまり声をかけられなかった。1月のバーゲン時期に来たときは、まったく客が入っていなくて「大丈夫か?」とか思っていたが、無駄な心配だったようだ。
服屋は、わりと高級店だったので、新入社員にしては、ちょいと背伸びをした、イイ値段のスーツだ。親が買ってあげたい気持ちもわかる。あの青年は、今度もこのレベルのスーツを着続けるのだろうか。だとしたら、十分に裕福だ。無駄が支払えるってのは豊かってことだ。
やぶれたシャツを縫うヤツはもういない。穴の開いた靴下を縫うヤツがいないように。バブル期のほうが豊かだ、と僕はまったく思えない人間だ。見栄を張り、金をばら撒いているのに、なぜ靴下の穴を繕う必要がある? 今のほうが、ずっと豊かだ。裕福だ。それは僕の考える豊かさで、誰か他の人の考えはまた違うだろう。それが認められるってのが、豊かさだと僕は感じるのだ。多種多様になってく。みんなが同じ事をしなくてもいい。