政治の時間的感覚

不況不況いわれていて、政府もどうにかしなきゃなあ、ということなのか、子供手当てみたいな法案を考えて、金をばら撒いている。うまくいくといいね、とも思うけど、なんというか…時間間隔、おかしくないか?
ゆとり教育のときは、もっと長期的スパンで物事を考えていた。そのときはまだ、豊かだったから、と言うつもりかもしれないが。10年20年先のことを考えて、手を打っている。でも、今行われているのは、その場の、来週、来月で、結果を出そう、という短期政策なんだろうか。そうやって短い結果を出していかないと、政権が持たないからか?
技術が進み、あまり働かなくても国民に必要なものがいきわたっている。いままで10人で作業していたものが、機械の導入で1人で済むようになった。9人は暇になる。よって働く必要がなくなり、働きたい人間が余っているのが現状だ。
さて、9人は何をするのだろう?それでも今までと同じような作業をしたいのだろうか。政治的感覚でいうと、そういう感じを受ける。ゆとりであけた時間に何を入れたいの? ゆとりを入れたいんじゃあないの? みんなの収入が下がり、時間的ゆとりを作るのが目的だったんじゃあないの? そのときの政権とは違う、と言われると、じゃあ誰が長期的思考をして、先導していくんだろう。
自分の命なんだから、自分で考えろよ、って結論は変わらないんですが。